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この度、私が行っている事業が創業10周年を迎えました。
なぜ私の個人事業のことを、この政治系ブログで書いているのか?
実はこの事業は実験であり、また私の政治活動とも密接に関係しているからです。
事業内容はバイク屋+IT屋(自社向)で100%趣味です。
この材料と、綾川町の立地条件から、若者がこの地で創業でき、東京とも対等に渡り合える事業展開を検討しました。完全に地方創世の実験台です。
この時点で通信販売をベースにすることが決定しました。
また、すでに政治家を目指すことを決めていましたので、活動拠点、経済的よりどころ、自分が居なくても回るシステム、インターネット上のどこでもオフィス(社外で仕事ができる環境)を会社の仕様に追加しました。
起業時点で基幹システムの大半はネット上にあるか、実装予定で、現在はほぼ実装済みです。
ところで起業時の綾上町山田下地区のネット環境はADSLのみで、サーバーを置ける状況ではありませんでした。
レンタルサーバーを借り、そこに画像等の重いデータを置き、その他の処理は自宅のサーバーで処理しました。
しかし、別サーバーによる管理は、面倒くさいのと、ADSLの回線速度の遅さで、不満は溜まりました。
何年かして、たまたま父が、丸亀市に別事業のオフィスを持つことになり、そこをデータセンターとして借りることにしました。
丸亀市は当時から光インターネットの環境がありました。
この頃にはすでに私は商工会青年部の役員になっており、事業者間では光インターネット待望論が広がっていました。
それ以前の学生時代、県の公開された年代別人口データから、ADSLの(当時自宅はISDNのみ)エリア展開で、自宅のある地区が含まれていないのはおかしいというレポートをNTTに送ったり、当時の綾上町に要望メールを送ったりしていた。
そういった経験もあったので、町へ光インターネットの要望に青年部役員として訪れました。
町長に対して、「光インターネットが無い状況は水道が無くつるべで、舗装されていない獣道。電気がないので提灯での生活と同じ事だ。」と言ったら、「君は失礼だ。」と言われてむちゃくちゃ怒られました。
しかし、なぜか総務課に通されて、課長さんから「無いとダメか?」と聞かれたので、「要る要らないの話では無く、無ければ居住、事業地として選択外で、競争どころか候補にも入らない。無い土地と同じ事だ。道もない土地に誰が住んで事業を興すのか?(先述の)父が丸亀市にオフィスを決めたのも、丸亀市には光インターネットがあったからだ。綾川町はなかったので、真っ先に選択から外れた。」と言ってトイレに行ったら、町長が居て「やっぱり要るんかのー」と言うので、「要りますよ。お願いします。」と答えました。
30才になるかならないかの、若僧相手に、まじめに取り組んでいただきありがとうございました。
後日、見事綾川町全域がエリアに入りました。公設民営で、契約金をNTTに渡し、綾川町内で光接続の要望があった場合はNTTが責任を持ってエリアに入れるという方式です。
これ、あまり知られていませんが、綾川町内であれば、どんな山奥でも光インターネットのエリア内です。
ネットインフラ上は東京と同じレベルになりました。
人にはいくつかの原点がありますが、この話は政治家として表層の原点の一つです。
以前、小学校の卒業式だったと思いますが、祝辞で原点の話をしたことがあります。
何かを目指すきっかけ。なぜそれを目指すことになったのか?その「なぜ?」が原点です。と言った話です。
さらにそこから、その「なぜ?」を掘り下げることにより、表層、中層、深層の原点が次々と出てきます。
人が行動を起す動機は色々とありますが、それを掘り下げていくと、だんだんと集束されていき、最後には天命とも言えるべき、きっかけが残ります。
私は突き詰めていくと、幸せな平和な理想的なこの町でのこれまでの私の生活が残ります。
それと同時に、悪い面、寂れていく町、無くなる町もそこには存在します。そこは戦う必要もあります。
理想的な町を、伝えたい、続けていきたい、持続したい。
大きく言えば、そういう町を世界の果てまで際限なく広げていきたい。
わがままで、幸せで、自己中な話ですが、これが私の原点です。
そのための手段として、「いかに人を増やすか?」と言ったテーマが私の政治活動には縦糸のように通っています。
原点という考え方も知らず、掘り下げると言うこともわからずに、それでも初出馬したときのテーマ、「人が集まる町づくり」は、やはり間違いでは無かったと今になって感じています。
私の師から「最初に無いものは最後まで無い」と言われていたので、そういう面でも間違いなかったと再確認しています。
さて政治家としての歩みに大きく関わっている私個人の事業が10周年を迎え、以上のように少し考えをまとめてみました。
ご精読ありがとうござました。